挑戦のきっかけ

私は2020年まで長崎市の世界遺産・軍艦島上陸ツアーのガイドをしていました。

軍艦島は外海にあり、台風や時化の影響を非常に受けやすい環境にあります。
桟橋の管理をしているのは長崎市。
ですが、度々破損する桟橋の修繕やそこに至るまでの対応が大変遅いと感じる事が何度もありました。

例えば...

・2019年9月22日:台風襲来
・2019年9月23日~:上陸禁止
・2019年12月末:業者決定
・2020年1月21日:工事開始
・2020年2月20日:工事完了
・2020年2月21日:上陸再開


※上陸禁止期間 151日間
※工事着工まで4ヵ月。工事期間1ヵ月(内、時化で作業できなかった日もあり)

着工まで、長期化せざるを得ないような特別な事情はありません。

 

それにより…

  • 上陸ツアーができないために、お客様にお詫びをするスタッフ
  • 長崎へのルートを他エリアへ変更する旅行会社とのやりとり
  • 関係業者の仕事、私自身のガイドとしての仕事も激減

仕事や生活に於いて、とても大きな痛みを感じていました。
そのような中、長崎市への不満をツアー会社の社長が市議会議員に訴え、それを受けた議員が長崎市議会で質問をするということがありました。

 

私はその時、初めて市議会を傍聴したのですが、そこでは軍艦島のみならず、様々な問題提議がなされていました。

そこで、「一市民として現状を変えたいと思ったら、議員になって議会で発言をするという手段がある」ということを知り「政治は暮らしに直結している」ことを感じました。

自分の痛みだけでなく、様々な人が抱える痛みを知り、せっかくならその声を議会に届け、住みよいまちに変えられる立場に立ちたいと思いました。

 

「助けて」が言えなかった

私はシングルマザーで、2人の子どもを長崎市で育てています。

司会業・講師業という職業柄、相応の身なりや話し方で 人前に立ちますが、実際は苦しいこともたくさんあります。

仕事のレポートや楽しかったこと等、SNSは頻繁に更新してきましたが、辛いことがあっても発信はしません。
イメージが大切な職種だと考えているからです。

金銭的に苦しい時も誰にも言わず、こっそり夜も働いていました。
私自身の未熟さももちろんあります。ただ、自分なりに精一杯できることはやってきました。
何か救済制度がないか調べても、保証人が必要、誰かを頼るしかない、支援に時間を要する、 困っているのは今なのにと、悲しく悔しい気持ちになったことが何度あったかわかりません。

そのような中であったからこそ、
軍艦島について市議会で発言している議員を見た時に、「社会的な地位も力もない私だけど、変えられる立場に立ちたい」と、強く心を揺さぶられました。